昭和の大歌手、島倉千代子さんが亡くなったのは10年前、2013年の11月8日である。
【写真を見る】島倉千代子と同じ“11月8日”に亡くなったカリスマ占い師
奇しくもこの8年後の同じ日には、彼女の人生に大きな影響を与えた女性も亡くなっている。一時はカリスマ的人気を誇った人気占い師の細木数子さんだ。
阪神のスター選手と結婚
藤本は67年に引退し、大阪の道頓堀にクラブを開店したが、その開業資金4000万円はお千代さんが工面したという。
「彼女の大ファンの銀行頭取が“このお金で縁を切りなさい”と、4000万円を貸してくれたのです。それでも藤本さんは離婚届に判を押さずストーカー行為を繰り返した。最後は“もう4000万円くれ”という要求を受け入れて決着し、再び頭取に用立ててもらいました。この8000万円が彼女の初借金でした」
離婚協議に疲れた彼女が頼ったのは、眼科医の男性だった。
13億円に膨らんだ借金
「62年、ファンが投げた紙テープの芯が目に当たって、失明危機と言われたときに治療した人物で、74年には千代子と恋仲になっていた。彼は新しいプロダクションを作って、私にクビを宣告したんですが、芸能界に関してはド素人。コマ劇場などの公演の売上げはスジが悪い連中にかすめ取られ、新曲のレコードを宣伝用に大量に購入するなどし、3億円の借金を作った。しかも千代子の実印を押して裏金融から借りていた。結局、借金は13億円にまで膨らんでしまったんです」
堀尾さんは“カタギじゃない俺が行くとコマ劇場に迷惑がかかるからウチのにやらせよう”と。“ウチの”とは彼の内縁の妻の細木でした」
細木が見せた剛腕
1977年3月、細木さんは債権者を、自分が経営するクラブ“艶歌”に集めた。
「テーブル上に3億円を置いて、“あんたはいくら貸したんだ”“実際に借りたカネより膨らんでいるじゃないか”と詰め寄り、実際に借りた金なら払えると言って、手形とはいえ13億円にまで膨らんでいた借金を3億円でチャラにしたんです。こうして千代子の債権者は細木になり、興行権も彼女に移ったのです」
以後、彼女の仕事は変質したという。
「キャバレーやクラブで歌うことが増え、コロムビアの関係者からは、細木さんが怖くて誰も近づけないと聞きました。彼女は“てめぇ”“コノヤロー”とヤクザ口調で、すぐに“明日の命だよ”“死ぬ気でやれ”と言う。作曲家も作詞家もビビッて、千代子に新曲を作りませんでした。細木さんへの借金は4年で2億円を返し、“あと1億返したら自由にしていいよ”と言われた
引用元:・島倉千代子さん 結婚1回目8千万借金 2回目13億 細木数子登場「助けてやんよ!!」 [421685208]
本当に足りなかったんだよな
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